米国における歴史

パーソナルコンピュータ(Personal Computer)登場以前に"パーソナルコンピュータ"という言葉が使われた一例として、1962年11月3日のニューヨーク・タイムズ紙のJohn Mauchlyの記事がある。この記事では、将来のコンピュータに関する見通しとして普通の子供達がコンピュータを使いこなすであろうことを述べている。

しかし現実には、個人で使える情報処理装置としては1970年代にIBM (model 5100) やヒューレット・パッカード(model 9830、9835など)から卓上型のコンピュータが発売されていたが高価であり、個人はもちろん大企業でも限られた部門で購入できたに過ぎなかった。

1970年代中ごろに普及し始めた8ビットマイクロプロセッサを用いて、ごく限定された機能・性能ながら個人の計算やデータ処理を行うことができ、価格的にも手が届くコンピュータが作られるようになった。

エンジニアや好事家などの中にその趣味の一環としてこの大幅に小型化され安価となったマイクロプロセッサを応用して独自にマイクロコンピュータを設計・製作する者たちが現れたが、このような個人向けの市場を開拓したという点で重要な位置付けとなるのが1975年1月にPopular Electronics誌で紹介された MITS社のAltair 8800や、その後互換機として発売された IMSAI社のIMSAI (8080) である。Altairは1974年に発表されたばかりの8080マイクロプロセッサを採用していたが本質的には小型化されたミニコンピュータであり、箱型の筐体にCPUや記憶装置を収容し端末を接続する形態であった。起動にも複雑な操作を必要とし本体単体のみではごく限定された機能・性能しか持ち得ないものであったが、拡張ボード(通称 S-100 バス。後にIEEE-696として標準化された)によって柔軟に入出力装置や記憶装置の増設を可能としていたなどその後のパーソナルコンピュータの発展の起爆剤となった。

アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売、ごく少数販売するに留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピュータの普及を促した。これは整数型BASICインタプリタをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピュータの基本的な構成を満たしている。Apple II はオープンアーキテクチャであったため多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながった。後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ったが、互換機メーカーが無くなることはなかった。

1980年前後になるとアップル、タンディ・ラジオシャック、コモドールといったいわゆる御三家以外にもアタリやシンクレア・リサーチ(イギリス)など多くのメーカーが参入し、相互に互換性を持たない独自仕様で競合したが、これらはいずれも1981年に参入したIBMのパーソナルコンピュータIBM Personal Computer model 5150(通称IBM PC。あるいは単にPC、後の互換機と区別してOriginal PCとも)の登場と共に16ビットCPU時代の幕開けを迎え、徐々に終焉を迎えることとなった。

IBM PCは同時代の水準としても既に特別に高性能なコンピュータではなかったが、ハードウェア仕様のオープン化やマイクロソフトとの協調、加えて何よりも大きい同社のブランド力でビジネス市場で大成功を収めた。オープンアーキテクチャにより IBM PC以外のコンピュータ本体や周辺機器などを供給していたメーカーやベンダーもIBM PC互換機を発売し、IBM PC互換機市場は急速に拡大して行った。IBMはハードディスク装置を内蔵したPC/XTに続いてCPUを高速版の80286にしたPC/ATを発売、他社も互換製品を発売して他の仕様のパーソナルコンピュータを圧倒し、PC/AT互換機(現在、単にPCと言えばこのPC/AT互換機を指すことが多い)が業界標準になった。

一方、アップルが1980年5月に満を持して投入したApple III (Apple3) はApple IIとの互換性が完全ではなかった上に品質上の問題も抱え、市場で受け入れられることなく失敗する。Apple III に見切りをつけたアップルは、GUI (GUI) とマルチタスクを備えたLisaを 1983年に発売し注目を集めるが、これも高価すぎて営業的には失敗に終わる。その後、より安価なMacintoshを1984年に発売するとようやく一定の成功を収めた。しかしApple IIで互換機メーカーにシェアを奪われる苦汁をなめたことからクローズドアーキテクチャにしたため、互換機市場は育たなかった。この反省からMacintosh互換機事業を開始したが、この時点で既にPC/AT互換機が業界標準となりつつあったため、シェアは伸びず、逆に互換機メーカーと市場を食い合う結果となった。最終的にアップルは互換機ビジネスを中止してクローズドアーキテクチャに回帰し、シェア争いを放棄した。

1980年代から高機能端末としてワークステーションが発達してきていたが、1990年代、パーソナルコンピュータのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが動作するようになってワークステーションとパーソナルコンピュータとの境界は曖昧になった。2000年代、MacintoshのOSはUNIXベースのMac OS Xへと移行し、またPC/AT互換機のOSもUNIX同等の機能を持ったWindows NT系へと移行した。

1990年代末には、パーソナルコンピュータ市場は多数のメーカーによるPC/AT互換機とWindowsの組み合わせ (Wintel) が支配するようになったが、コモディティ化が進みメーカーによる差別化が困難となったPC市場は過当競争により再編が相次いでいる。PCのオリジナルであるIBM PCを開発・販売したIBMは、2004年12月にパーソナルコンピュータ事業の業績不振から、パーソナルコンピュータ事業を中国のレノボ・グループ(聯想集団)に売却すると発表した。ハードウエアのオープンアーキテクチャ化を大きな要因として繁栄したPCであったが、最終的にはその互換機によって市場から撤退することとなった。一方、ハードウェア・OS・小売事業を全てアップル一社で提供する垂直統合モデルを採用したMacintoshは個人ユーザー向けビジネスとして成功を収めており、再びシェアを拡大する傾向にある。

Comments (0) »